年に一度の道東遠征。今年の行き先は斜里岳です。台風の影響が懸念されるところですが・・・
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgkr1dgcFaJoIR8sldrKbizhIT4AabG84b_UdbhIu3c7vl4FKs3q4_4Mgqwx1-e44M8WcSS_6ke2sh-RJ0Xwqv7WCD5YrgzD5uZHqXE0zhnpLKG76zSoSv-MyMqLhIlW43mdvoZQA/s320/090902k.bmp)
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhWdOxFkUgIdUl1qh3pAqxPfD3u7iVxXgYxpP58oeRPhvaqf3w8johLMWsXtcuyiRVrDMpqJzeeu64e_MaF8rGsMQ0GLEJMUhbRlmVxpd02Ng01fhWWPfSCykgYIo0ienwrNcu9Lg/s320/090902m.bmp)
天候:快晴
気温:11.6℃
風速:NE3.3m/s
参加者:4名様
ガイド:土栄
行程:
05:27 清岳荘 発
06:34 下二股 着
07:33 7合目 着
08:27 上二股 着
09:09 馬の瀬 着
09:37 斜里岳 着
お昼
10:30 斜里岳 発
11:06 上二股 着
12:05 熊見峠 着
13:08 下二股 着
14:13 清岳荘 着
所要時間:8時間46分
登り:4時間10分
下り:3時間43分
歩行距離:11.1km
累積標高:±1222m
歩数:14683歩
山行の様子:
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh3DcpFksRASjnXOpsl_MUyTj3scFmc56hIKxdwtcXXr-q25ogV7xYW25x2ywabDqEc6AlCc9FoxASAScm6eAC7kSXmxoWf64dfmp1xaTjwC6LeF6IKCOglGnomQFVuGgROKGIhNw/s320/090902-0.jpg)
これぞ台風一過。夜半まで降り続き、私たちを不安にさせた雨はどこへやら。清岳荘の上には真っ青な空が広がっていました。
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhgP99f626HGbJezXNqZ5C5FDhmLrezUNiBuoh1TnVzOvoS0IwjWIvT94wmbSkqCtepbFxPjAwvnwGhd0ttNL1lZE8PFhfq8BQuvMA_43kgnuieO345fyXJZFxauVOWeg8fHCgsqQ/s320/090902-1.jpg)
まだ陽が射さない沢沿いを、時に飛び石伝いに渡り、
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjp39VN-ufavrrkyjHY8oSYk9yWmMLgZ5N9GDmzj-nNljMJ36T7Mx7ys2wjTbdb0FWLKJhEAe4JA0GAIr8YBGgNm11DNEkBCgnj6iJIlLDrqqRh8FckoZEgJGaVIrQKSvqZ19z86A/s320/090902-2.jpg)
時に流れのすぐ側を伝って登っていきます。下二股から先で傾斜が急になりますが、次々と現れる滝に疲れを感じる間もありません。
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhm2Vne3RNxEHgQO0lesRayvBcjU6xUerzXptaRFjI3D3PUmvH4G6KDOeKjX12O5MB6duU3eHgSUeK3JnENLefm8F9ayPCjJ-588NKLO8RmobqHcmEliZmLuKG6e1-V06nHiaeVCw/s320/090902-3.jpg)
上二股からわずかに行くとようやく沢から離れ、登山道は岩の露出した急登に変わります。みるみる標高が上がり、どんどん展望が開け・・・。斜里岳山頂はこれ以上ない快晴に浮かんでいました。
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjoOad6dnoZx86w0z_ckci2h9qGi3COCLGwpayUcS6oeVmPai7QMIIq_yaNqX3zseytSQtv9p3YT0SLxEZN220zpzt39esJRMdklhsQ91UYEpgayRR8hy7PsQDwn2FqPl2gJtztNg/s320/090902-4.jpg)
早く山頂に立ちたいというはやる気持ちを抑えながら、最後の一登り。全周ぐるりと見渡せる山頂からは、一面の綿雲の雲海。雄阿寒岳・雌阿寒岳が一際存在感を放っています。遠くに見えるのは・・・雪渓の形から言って表大雪でしょう。
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiEFcJ328lP8zD1kMUi3T5W-Lo6Bx5QS7Eexn5JMxm3YNcFe3XtkOlWG0cWUYvga3w-gw5SvhkuBh8l3VJQzhdqCzviXgH61R2qpeqBY7NNPeLN-kJuK5iH8l9RAvAMXMP2QS9zBg/s320/090902-5.jpg)
昨日どんよりした雲に覆われていたとは信じがたい、すっきりとした空。眼下にぷかぷか浮かぶ羊雲。なだらかに続く海岸線。これまた青い青いオホーツク海。サイコーだー。
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgKi4phyphenhyphena5466KXHYsyrGHI_QOJxyvj75Z4tsmkNXDPR4ewmsb0wXwbdEDR_Ti0w1W4RgmP9PuJsrVExSgf08EomkK4hulOEOJNVj0T28ApkQAK2AkmwVdaQn4ZSbTafhJegns1xg/s320/090902-6.jpg)
1時間ほどゆっくりと休憩を取り、満足感いっぱいで下山にかかります。新道経由ですから、登りとは違う景色が待っていますよ。その一つめは、竜神の池。地元のガイドブックによると、鉄イオンがどうたらこうたら。吸いこまれそうな不思議な色をしています。
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjgPNHQAJgIqturk3rgPoSFJGTeydfTIThrkP8QSa86DEwLPlNFBoJgcA7don-l0-wZBqqBKPUxlTWa7Bk5pTF3vV9N1IjxRFqLdAtm0NSffEtyONca7ETGi3Ma_udjNZgKTysSQw/s320/090902-7.jpg)
二つめは熊見峠に至る稜線歩き。ここから見える山頂の格好良いこと。
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhJkTXrZsAQeWg8b6l1Ml6y8M72XFQLbQqj13VxehkelLIgLfL6tu0QoEH_TyHourVwl-Ibycwd2VnN2fZo6Df1eQpd5YsBQw0yVqe2qq2nSxoibL-7jdzTuFnsbSL5_ZMZK1FqDw/s320/090902-8.jpg)
最後は下二股に下る途中で見上げる山頂。ぐぐっと上から迫ってくる感じがします。
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgXUJkk4rS3cPXnTY5okDemOUhtleExuJzJvfveOQkuom45-Koyo-05TkHuwwC9bv054aUuoXQ70GE1aW4C5gbZZo_XCX__NO7OTmNCAf6bPUj_eJuDDomuIIvSvKvRsdD4A_8WsA/s320/090902-9.jpg)
大満足の下山後には、もう一つおまけがありますよ。車道から見返す斜里岳全景です。この景色を胸に、長い帰路につくとしましょう・・・。
2 件のコメント:
斜里岳の標高について、Wさんがいつもの記念撮影用のスケッチブックに書かれた1544・8mを土栄さんは心当たりがないと言われました。
私は、四捨五入した1545mに記憶があるので少し調べてみました(それから時間がたったので、細かい事はもう忘れてしまいましたが、ざっと)。
まず、地形図
①昭和46年編集の5万分の1では、三角点があり1544・8m(ここにWの秘密がありました)
②平成元年改測の2万5千分の1(山行の前々日に購入したもの)では、1547m、ただし三角点記号なし
③国土地理院の地図閲覧サービスの2万5千分の1では、1547m、ただし三角点はやや東の一段低いところにあり1535・8m
(この三角点は現地で見て来ました)
次に、点の記
興味を惹かれた所だけ抜粋すると
平成14年10月15日選点、設置、観測
履歴(1)旧設置 大正6年6月25日
備考 平成14年10月15日再設 楓
GPS測量 旧位置の東方約40mに再設
軽量標識
なお、基準点詳細には標高1535.79mとあります。
以上からすると、大正6年に設置された三角点(標識)がその後、昭和46年以降に失われ、平成14年にやや位置をずらして再び設置されたことは分かります。
しかし、標識が失われただけなのか(三角点の選定自体に問題が生じたのか)、なぜ失われたのか、なぜ同じ場所に再度設置されなかったのかなどの疑問が残ります。
地元の方、地図関係の方等経緯をご存知の人は教えてください。
詳しくお調べいただき、お疲れさまでした。
確認すると、たしかに5万分の1図では1544.8mとなっていますね。
普段5万図はほとんど見ないので、全く記憶にありませんでした。
こういうの、地元山岳会の方なんかがお詳しいのでしょうね。
拝聴したいところです。
コメントを投稿